山里亮太さんがフィリピン・マニラ首都圏のタンザ小学校に「赤メガネ食堂」を建設し、低栄養状態にある子どもたちへ給食を届ける取り組みが注目を集めています。
なぜこの活動を始めたのか、そして継続する原動力とは何なのか。
本記事では、山里さん本人の言葉や現地の様子をもとに、その思いと活動内容を分かりやすくまとめました。
「赤メガネ食堂」とは?支援プロジェクトの概要
「赤メガネ食堂」は、NPO法人ACTIONと山里亮太さんが協力して立ち上げた給食支援プロジェクトです。
場所はフィリピン・マニラ首都圏北西部にあるタンザ小学校。
ここでは100人の低栄養の子どもたちに対し、月〜金の週5日、無料で給食を提供しています。
山里さんは建設費を支援し、2024年8月下旬のオープン当日には現地を訪問。
子どもたちが「これからも食べられるの?」と不安げに聞いたシーンもあったそうで、「そうだよ」と答えたときの笑顔が印象的だったと話しています。
AERAに赤メガネ食堂の活動に関する山里さんのインタビューが掲載されました❗️2年前の山里さんの「僕に何か出来ることはありますか?」からはじまりました。これからも出来る事を皆さんと発見💡していきたいと思います。@YAMA414 @kuyajimmy @NPO_ACTION #赤メガネ食堂https://t.co/aT0PNL7DjC
— 赤メガネ食堂 (@akamegane_kit) December 15, 2025
ボランティアや地域の方々の協力によって食堂が完成した背景も温かく、卵を提供する地元農家の方など“支援の連鎖”が生まれている点も特徴です。
現地で感じた子どもたちの変化
山里さんによると、フィリピンでは経済的な理由で十分に食事を取れず、学校が「つらい場所」になる子どもも少なくありません。
しかし給食があることで、ごはんを食べられ、友達に会える“楽しい場所”へと学校の印象が変わっていくと語っています。
実際に、子どもたちは嬉しそうに給食を食べ、少しずつ体が大きくなっているという変化も見られているとのこと。
子どもたちとの関わりによって、喜べる幅も倍になりますし、子どもたちからもらう嬉しさも倍以上になりますよね。
山里亮太が活動を続ける理由 ― 本人の言葉から
山里さんは「自分が動いたことで100人の子どもが給食を食べられている」と語り、その事実が活動を続ける大きな励みになっていると話しています。
また、「人の縁や恩は海や陸地で区切られるものではない」との考えを持ち、支援を続ける中で“結果を急がず、長い目で見て誰かの未来につながるかもしれない”という姿勢を大切にしているそうです。
娘が生まれたことをきっかけに、どの子も甥や姪のように感じられるようになったというエピソードも印象的です。
活動が山里亮太に与えた変化
今回の支援活動は、山里さん自身にも大きな変化をもたらしています。
例えば「喜べる幅が倍になった」との言葉が象徴的。
舞台で観客を笑わせる喜びと、支援活動で子どもたちの笑顔を見る喜びが、同じように胸に響くようになったと語っています。
さらに「もっと仕事を頑張ろうと思える原動力になっている」とも話しており、活動が芸人としてのエネルギーにもプラスに働いていることが伝わります。
支援の始まりは“妻・蒼井優さんのひと言”
この活動のきっかけは、妻の蒼井優さんが“ママ友”であるJICA関係者に相談したことから始まったと言います。
山里さんが「自分には厚みがない」と感じていたことを知り、「何か良い経験になりそうなことはないか」と尋ねたのがスタートでした。
その後、2023年に家族でフィリピンを訪れたことが転機となり、現地の子どもたちの状況を目の当たりにして「自分にも何かできないか」と感じたことが現在の活動につながっています。
まとめ
「継続が大事」と語る山里さん。
赤メガネ食堂を通じて、子どもたちの生活に小さな変化が生まれ、同時に自身の価値観にも変化が生まれていることが伝わってきます。
芸人としてだけでなく、一人の大人として歩み続ける山里さんの今後の活動にも注目していきたいですね。
出典一覧
- AERA DIGITAL(2025年12月15日号):https://news.yahoo.co.jp/articles/6323d9ef23dc22dedb9b9afba8ddacd96613c092

